大阪地方裁判所 昭和62年(行ウ)53号 判決 1992年2月24日
原告
小堀清
右訴訟代理人弁護士
赤澤博之
同
岡崎守延
被告
泉大津労働基準監督署長嘉本茂美
右指定代理人
小久保孝雄
同
鈴井洋
同
太田嘉信
同
塩原和男
同
横山嘉伸
同
宮林利正
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が原告に対し昭和五六年七月一日付でなした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付をしない旨の処分を取消す。
第二事案の概要
一 争いのない事実等
1 疾病の発生
(一) 原告(昭和一三年二月一五日生)は、昭和五一年六月一日朝比奈建材株式会社(以下、朝比奈建材という)に入社し、大型貨物自動車(ダンプカー)運転手として稼働してきたが、同五六年一月一四日午後二時頃、同社洗車場において洗車していた際、体調に異変を生じ、同日午後八時過ぎ、和歌山赤十字病院において、脳内出血の救急手術を受けた。
(二) 原告の右疾病は本態性高血圧に基づく脳内出血(以下、本件疾病という)であった。
(三) 高血圧性脳内出血は、高血圧が数年以上の長期間継続することにより、脳内動脈に生成され、進展した血漿性動脈壊死に基づく微小動脈瘤が破綻し出血する疾病である。
2 労災給付請求
原告は同年三月二日被告に対し、労働者災害補償保険法第一二条の八第二項により、本件疾病に関し療養補償給付及び休業補償給付の請求をしたが、被告は同年七月一日、右疾病は業務に起因することの明らかな疾病とは認められないとして、右給付を支給しない旨の処分をした。
原告は同年八月一日大阪災害補償保険審査官に対し審査請求をし、同審査官は同六〇年三月五日右審査請求を棄却し、原告は同年五月一六日労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は同六二年六月三〇日右再審査請求を棄却した。
3 原告の業務(<証拠略>、原告本人)
(一) 原告は、主として一〇トン・ダンプカーの運転手として生コンクリート用の砂及び砕石の運搬に従事し、又、ダンプカーの配車(配車割当の連絡)、生コンクリートの運搬、土木工事の補助等にも従事していた。
(二) 原告の勤務形態は次のとおりであり、日によって異なり一定していない。
(1) 午前六時から午後二時三〇分ないし午後三時まで、朝比奈建材と大木採石場間(約二九キロ)の砕石運搬四往復(一往復約二時間)
(2) 午前三時から正午まで、朝比奈建材と西井商店砂置場間(約六キロ)の砂運搬五往復(一往復約三五分)と右砕石運搬三往復
(3) 午前三時から午前六時三〇分まで右砂運搬五往復、午前八時から午後五時まで土木工事の補助と生コンクリートの運搬
(4) 午前八時から午後五時まで土木工事の補助と生コンクリートの運搬
(5) 午前六時から午後五時まで、朝比奈建材と大木採石場間の砕石運搬一往復の後、土木工事の補助と生コンクリートの運搬
(三) 原告は、本件疾病発症日、(2)の勤務形態に従い、午前三時から午前六時頃まで砂運搬五往復した後、砕石運搬三往復し、午前一一時三〇分頃から午後〇時三〇分頃まで昼食休憩をとり、その後、使用した自動車の整備点検、洗車をし、作業を終えようとしていた。
4 原告の本件疾病発症前の稼働状況(証拠略)
(一) 同五五年六月から一二月までの稼働状況は別表一(略)のとおりである。
(二) 同五六年一月一日から本件疾病発症までの稼働状況は別表二(略)のとおりである(一月一日から八日まで休日、休暇、九日勤務形態(1)、一〇日同(2)、時間外労働一時間、一一日休暇、一二日同(5)、時間外労働二時間二〇分、一三日同(5)、時間外労働二時間)。
5 本件疾病発症日の気象(証拠略)
大阪管区気象台の観測によると、最低気温零下一度、最高気温五・九度、熊取地域気象観測所の観測によると、最低気温零下〇・二度、最高気温四・三度であった。
6 原告の健康(証拠略)
(一) 原告は、同五四年五月一日、職場における一般健康診断において、最高血圧一五六、最低血圧八四を示し、医師の注意を受け、翌年には、高血圧のため、職場団体生命保険への加入を拒否された。
(二) 原告は医師による高血圧の治療を受けなかった。
二 争点
本件疾病の業務起因性(労働者災害補償保険法第一二条の八第二項、労働基準法七五条、同法施行規則三五条、同別表第一の二の九号)
(原告)
1(一) 原告の朝比奈建材における勤務形態は極端な早朝出勤を含む不規則な交代勤務制であるうえ勤務内容も多様(ダンプカーの運転及び配車係)であるため、原告の肉体的疲労、精神的緊張を蓄積させ、その結果、原告は初めて高血圧を呈するようになった。
(二) その後も原告の高血圧は右業務のため増悪の一途を辿り、特に、本件疾病発症の直前には長時間且つ不規則な勤務が集中し、冬季の寒さも加わったため本件疾病が発症した。
2 仮に、原告の高血圧が業務に起因しないとしても、朝比奈建材における業務が原告の高血圧を増悪させ、本件疾病発症の共働原因となった。
3 朝比奈建材は、従業員に対する定期健康診断(労働安全衛生法六六条一項)を励行せず、又、原告の高血圧症状を熟知しながら漫然と稼働させたため、本件疾病が発症した。
4 したがって、本件疾病は労働者災害補償保険法上の「業務上の疾病」である。
(被告)
1 労働者災害補償保険法上の「業務上の疾病」とは業務と疾病との間に相当因果関係のあること(労働基準法法(ママ)施行規則別表第一の二の九号所定の「業務に起因することの明らかな疾病」)を言い、本件に即せば、医学経験則上、原告の業務が本件疾病の相対的に有力な原因と認められることを要する。
2(一)(1) 本態性高血圧症は遺伝因子を中心に諸種の環境因子が複合的に関与して発症するものであり、疫学上も特定の業務との関連は認められない。
(2) 本件疾病の業務上外の認定は、現段階における医学知見を集積して策定された認定基準(同六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号都道府県労働基準局長あて労働基準局通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患の認定基準について」)によるのが最も適切妥当である。
(二)(1) 原告が朝比奈建材において日常的に行うダンプカー運転による精神的、肉体的負荷は過度の負荷とは言えず、血圧上昇を生じても一過性で持続せず、疲労は休養によって軽減、消失し、蓄積されない(配車係は配車割当を連絡するだけの役目である)。
(2) 原告の勤務形態は変形ではあるが、過度の長時間労働や過激な労働が常態化しているものではなく、十分な休日が確保されている。
(3) 原告はダンプカー運転手として長年の経験を有し、同社入社後、同一労働条件の下に支障なく稼働し、疲労の蓄積を窺わせる徴候は全くなかった。
(4) 以上によると、原告の朝比奈建材における業務は過重ではなく、高血圧発症の原因にならず、症状増悪の原因でもない。
(5) 原告は、本件疾病発症日はもとより、発症前二四時間以内、発症前一週間以内において、「業務に関連する異常な出来事への遭遇」も、「特に過重な業務に就労したこと」もない。本件疾病発症前三か月においても十分な休日を取っている。
(6) 原告は高血圧の治療を受けていない。
(三) したがって、原告の本態性高血圧及び本件疾病の発症が業務に起因すると認めることはできない。
3 朝比奈建材の健康管理義務違反は民事責任に係わる問題であり、本件疾病の業務起因性の有無と無関係である。
第三判断
一 労働者災害補償保険法上の「業務上の疾病」とは業務と疾病との間に相当因果関係のあること、即ち、医学経験則上、業務が疾病の相対的に有力な原因と認められることを指すのであり(労働基準法施行規則別表第一の二の九号)、使用者に被用者に対する健康管理義務違反があるからと言って、直ちに、右相当因果関係を認めることはできない。
二1 医学経験則上、次の事実が認められる(証拠略)。
(一) 高血圧症は遺伝因子を中心として諸種の環境因子が複合的に関与して発症する。
(二) 精神的、肉体的負荷によるストレスは血圧変動に影響するが、急性の精神的、肉体的ストレス及び慢性的運動負荷によるストレスは休日、休暇、睡眠によって解消し、高血圧発症の原因とはならない。
(三) 慢性的精神負荷(慢性疲労)によるストレスは高血圧発症に関係するとされるが、医学上、十分には解明されていない。
2(一) 原告は朝比奈建材入社前にもダンプカー運転手として稼働しており(原告本人)、同社における日常的なダンプカー運転業務がそれ自体、原告に対し、精神的、肉体的に過度のストレスを惹らしたとは認め難く、配車係の業務は配車割当を連絡する役目に過ぎないから同様である。
(二) 原告の勤務形態は変形、不規則ではあるが、過度の長時間労働を強いるものではなく、休日、休養も確保され、業務から生じた疲労の回復を図ることができ、早朝出勤も特に日常の生活行動に支障を来すものではなかった(原告本人)。
(三) 原告は、朝比奈建材入社以来、同一労働条件の下に、格段の支障もなく稼働してきており、慢性的疲労を窺わせる徴候はない。
(四) 原告の高血圧発症の時期は不明である。
3 したがって、朝比奈建材における業務が原告の高血圧発症の有力な原因となり、又、症状増悪を促進したと認めることはできない。
三1 医学経験則上、次のとおり認められる(証拠略)。
(一) 本件疾病は、多く加齢や一般生活における諸種の要因によって自然経過的に発症するが、急激な血圧変動や血管収縮を惹らす過重負荷が加わると、自然経過を超えて発症することがある。寒冷暴露(刺激)は血圧変動等の要因となり得る。
(二) 右急激な血圧変動や血管収縮を惹らす過重負荷が業務に起因する時、業務が本件疾病発症につき相対的に有力な原因となったと認めるべきである。
(三) 業務に起因する過重負荷は通常の業務を超えた過重な業務によって受ける負荷であり、通常の業務によって受ける負荷は自然経過の範囲内である。
(四) 本件疾病は過重負荷を受けてから発症に至るまで、通常は二四時間以内、稀に数日を要し、発症前一週間以前の負荷と発症との関連は希薄である。故に、本件疾病発症に最も密接な関連をもつ業務上の過重負荷は発症前約二四時間以内のもの、次いで、発症前一週間以内のものである。
(五) 継続的精神(心理)的負荷と本件疾病発症との関連性は未解明である(証人池田の供述は直ちには採用できない)。
2(一) 原告の本件疾病は、正月休みを含む比較的長期の休養の後、日ならずして発症しており、原告は、本件疾病発症日、発症前二四時間以内、発症前一週間以内、何れをみても、通常の業務を超えた過重な業務に従事していない。
(二) 寒冷期において脳血管障害は日常生活の自然経過によって発症する例も多いことに照らすと、本件疾病発症日の稼働が特に右発症に関与したと即断することもできない。
(二) 原告の通常の業務が、それ自体過重であり、慢性疲労による精神的負荷を蓄積したと認められないことは前説示のとおりである。
(三) 原告は高血圧について医師の治療を受けていなかったから、日常生活における自然経過によって症状が増悪したことも優に考えられる。
3 したがって、原告の業務が本件疾病発症の相対的に有力な原因であると認めることは困難である。
四 よって、原告の請求は理由がない。
(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 野々上友之 裁判官 長谷部幸弥)